令和五年 三日月祈願 山中鹿之助

令和五年 出陣

三日月祈願 山中鹿之助

みかづききがん やまなかしかのすけ

戦国の世。出雲国(島根県東部)一円で大きな勢力を誇った尼子氏は、当主 尼子晴久の死により衰退し、ついには安芸国(広島県西部)毛利元就の軍門に降り滅亡した。

尼子氏の家臣として数々の武勲をあげ、卓越した戦略眼を持つ事から〝山陰の麒麟児〟の異名をとる山中鹿之助幸盛は、その智将ぶりで他軍より引く手数多だったが「忠臣は二君に見えず」と一切の誘いに応じなかった。

ひたすら主家の再興だけを願い、打倒毛利軍を心に固く誓った鹿之助は、ある晩三笠山にかかる三日月へ静かに祈った。

「願わくば 我に 七難八苦を与え給え」

それは主権回復のためなら己を顧みず、どんな困難も乗り越えて見せるという覚悟の表れであった。

やがて祈りに呼応するかのように、鹿之助の周囲には復活の象徴である蝶が無数に舞い、幸運のフクロウが悠然と羽ばたく。

そして全てを包み込むが如く、瑠璃色の麒麟が縦横無尽に夜空を翔けた。

一途に尼子家復興を信じて奮闘した鹿之助の姿に、コロナ禍や戦禍などの災いが消え去り、再び平穏な世が戻る事を切に願うものである。          

解説 手塚茂樹

○○賞 受賞

※このコンテンツ内のねぶた・写真・解説文の著作は、「マルハニチロ侫武多会」・「撮影者」・「ねぶた制作者」が有しております。 これらの著作物の無断転載・複製などの一切を禁じます。